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杉の子会・大橋学インタビュー

1983年11月14日 PM19:00~ 杉野昭夫ファンクラブ 杉の子会インタビュー
取材場所/阿佐ヶ谷駅前の喫茶 茶居花 取材/有栖川さん・森田さん

有栖川 大橋さんがアニメーションを始められたキッカケは・・・

大橋 あ、作品とか?う~ん、俺は15歳から入ったんですよね。だからその頃ってTVアニメってなかったから、だからディズニーとかポパイとかね、すごいそういうのを大きくなってから見るとショックだったわけね。で、いいなあって思って。

有栖川 そのままスンナリと?

大橋 うん、普通はさ、将来はアニメをやりましょう、とかね。ジックリ考えるわけだけど 俺はもうパッ・・・と

有栖川 風のフジ丸を描かれてますよね?

大橋 うん。あれが初めての作品かな。

杉の子会表紙
杉の昭夫ファンクラブ会報

有栖川 あと世界昔ばなしの中で人魚姫、幸福の王子、マルーシカと12の月とか宝島のオープニングエンディングも手がけられたんですよね。えーと元祖天才バカボン、ガンバの冒険、劇エース・・・

大橋 なんか順番がバラバラだなぁ(笑)

有栖川 すみません、何か興奮しちゃって・・・。宝島のオープニングエンディング、私とても好きなんです。感動しちゃって・・・。それから大橋さんという存在を意識しはじめて。

大橋 そうですか・・・。あまりいいモノじゃないですよ。

有栖川 エンディングのラストに出てくる月うさぎかわいかった。

大橋 あれはコンテにはなかったけど遊び気分でチョイとね。ああいう風に遊ばないと楽しくないからネ。

有栖川 大橋さんは渚マオさんというペンネームで「星のカフェテラス」に作品を載せてましたよね。編集なんかもなさったようで。

大橋 う~ん、編集したのは結局は1冊くらいだったかな・・・順々に編集がまわって来てね、1冊1冊違う人がやってるんだ。発行するはずだった原稿、今も持ったままの人もいるんだよね(笑)

有栖川 ずい分お若い頃からアニメの世界に入ってらっしゃいますね。

大橋 うん、中学出てすぐに何の抵抗もなく入ったから。でも19歳の頃、ちょうど今の君達と同じくらいの時だね。一時期アニメから離れてたんですよね。再びアニメの世界に戻ったのは22・23歳の頃かな。

有栖川 かなりたくさんの作品を杉野さんと一緒にやってらっしゃいますよね?

大橋 うん、あの・・・杉野さんと会ったのは・・あ、杉野さんのこと話した方がいいんでしょ?(笑)

あのー「あしたのジョー」旧作の、あれがすごく好きだったのね。あれってこう青春そのものみたいな(笑)ネ、スゴイでしょ。それであれを観てあれのスタッフに興味を持ってたのね。特に杉野さんには。

で、あの後、そのスタッフの人たちと一緒に仕事しませんかって俺のアパートまで丸山さんが来てくれて。一緒にやったのが「国松さまのお通りだい」なの。でも何ていうのかな、あれだけスゴイ作品の後だから皆気抜けしちゃっててね・・・

 

君達が例えばあんなぷるに見学に行くとかいう時ってすごく期待してるじゃない。あ~杉野さんってどんな人なんだろう?って(笑)俺もすごいドキドキしながら行ったんだけどさ、ちょうどそんな風で気が抜けた杉野さん見ちゃって・・・(笑)

やっぱりいい作品と出会ってそれにのめるっていうか燃えるっていうのは周期があるみたいね。うん。

俺としては杉野さんのそれは「ジョー」のあとは「家なき子」だったんじゃないかなぁって思ってるんだけど。

 

あの「宝島」とかファンの間では騒がれてるけど俺としてはむしろ「家なき子」の方がね、出﨑さんにしても杉野さんにしても思い入れがあるんじゃないかなって思ってるんだけどね。

星のカフェテラスより
星のカフェテラスより

出﨑さんって「家なき子」が好きみたいなのね。企画が出る前から自分でパイロットっていうかコンテを描いたりして。俺見せてもらったんだけど30分モノ1話分くらい出来てたよ。

だからやりたいモノをやれたってことでね、あれはホントに幸せな作品だったし、最高の、って言ったら失礼だけど・・・だったんじゃないかな。

 

有栖川 「家なき子」の中で大橋さんがデザインされたキャラは?

大橋 うん、えーとグレースっていうのかな、ベレー帽かぶった女の子。他はだいたい杉野さんがデザインしたんだけどね~。

俺自身も「宝島」より「家なき子」が好きですね。描きながらね、自分でそれでもファンでいられたもの。それにあれは俺自身一生懸命仕事したんだよね。杉野さんはそうは思ってくれないと思うけど(笑)

杉野さんと俺って全く正反対の人間だよね。杉野さんはホントに・・・こう、机にかじりついてね、仕事してる。いつも仕事してる人。けど俺はー

有栖川 違う?(笑)

大橋 違う(笑)夕方会社に来るでしょ。でも又すぐ出て行っちゃうのね。遊びに行っちゃうの(笑)で、仕事始めるのが12時くらい。それから朝までやる。けど杉野さんは昼もやる、夜もやる、ま、12時くらいまでだけど。それでも12時間くらいやってるでしょ。俺なんかやってるように見えて、え~と6時間くらいじゃない?半分だよ・・・。

この頃会ってないけどね~。もう半年会ってない。

「ゴルゴ」の完成記念パーティーもなかったしね。ああいうのってやるとお金かかるじゃない?

だから東京ムービーってあんまりそういうのやってくれないのね。それにパーティーとか杉野さん出てこないしね。大勢で飲むのってあんまり好きじゃないみたい。2・3人で飲むのがとっても好きな人だからね~。うん。あ~そうするとこれ(インタビュー)は杉野さんへの手紙だなぁ・・・。

とにかくそういう風で杉野さんて仕事一本みたいなところがあって、それで他のものまでに手がまわらない・・・ってところあるのね。杉野さんもさ結婚して子供がいたりするわけだけどさ~、そういう家庭とかね・・・もっと大事にするっていうか仕事以外にもね時間をかける・・・余裕があってもいいんじゃないかなぁって・・・俺は思うの。過酷なんだよね。杉野さんはね・・森田さんも何か聞いて下さい(笑)

森田 え(笑)う~ん、小さい頃から絵はお好きだったんでしょ?

大橋 うん。

森田 どういうモノがおすきだったんですか

大橋 やっぱりマンガだね。教科書のスミに落書きをしたり・・・

有栖川 パラパラアニメとか?

大橋 うん、そう(笑)

森田 どんな学生さんだったんですか?

大橋 え(笑)もうねぇ、チコクはするでしょ早弁はするでしょ(笑)

有栖川 あ、私も(笑)

森田 え(笑)

大橋 チコクしても何も言われないからもう堂々と・・・あ、堂々とっていうのもオカシイけど窓から入っていったりね(笑)

有栖川 大橋さん出身はどちらなんですか

大橋 え~、まいいじゃないですか(笑)田舎っぺだから。

有栖川 東北とか

大橋 近い

有栖川 えっ、栃木とか茨城とか

大橋 うん

有栖川 ええっもしかして栃木とか?

大橋 そうです。

有栖川 えええ~っ(笑)あの~宇都宮とか小金井とか・・・

大橋 小金井

有栖川 え~!私宇都宮なんです~!いつ頃まで?

大橋 7歳くらいまでいたかな。学校なんか木造だからすき間から冷たい風がふいて

星のカフェテラス 大橋学の部屋
星のカフェテラス 大橋学の部屋

有栖川 栃木って寒いんですよね~。私この間帰って来たばかりなんですけどめっぽう寒かったです。やだ、でも本当に小金井なんですか!? なまってないですね!

大橋 だって小金井にいたのは7歳くらいまでだもの(笑)

有栖川 あ、そうか!

森田 何かローカルな話になってきた(笑)

有栖川 大橋さんは今でも同人誌活動などをやってらっしゃるんですか?

大橋 うん、そういうの好きだからね。今でも別の仲間たちと一緒に年に一度会誌を出してる。マンガとかイラストを描いてね・・・。今度ね、今までの俺のこと、色んな人達のコト、アニメーションのことなんかをマンガにしたい、と思ってるんだ。

何か今度杉野さんメカものなんでしょ?

森田 「ブルーツ」ですか。

大橋 そうかな。俺としてはね、ああいうのはやってもらいたくないっていうかさ・・・もっと名作モノの路線なんかをやってもらいたいのね。「にんじん」とかね。今度サンリオで「おしん」をやるでしょ。あれはどれくらいかかわってるの?

森田 え、キャラデザインとレイアウトを少し、あとはもうサンリオさんの方に任せてってことで・・・

大橋 うん、あれやりたがってたんでしょ。やってもらいたかったなぁ~。でも会社の制度でさ、杉野さん加われなかったのね。だからさ~杉野さん、出﨑さんにしばられてるみたいな所ってあるのね。

森田 あ、そんなコト、杉の子会でもささやかれてるんですよ。

大橋 うん、あっこれ出﨑さんも読むの?

森田 あ、読まれると思いますよ(笑)

大橋 あ(笑)じゃあ、えっと・・・うん、もっと杉野さんを自由にしてあげて下さいって言っとこう(笑)

何かさ、出﨑さんと杉野さんとではスゴイのはどっちなんだろうっていうのアニメ界の秘密の話題なのね(笑)出﨑さんと杉野さんとでアニメのひとつの路線を作ってきたわけだけどネ。それはどっちがすごかったからなんだろう・・・って。

森田 う~ん、杉野さんもスゴイけど出﨑さんも・・・この間ね、出﨑統特集っていう上映会があって観てきたんですけどアンデルセンの「プシケ」とか、「宝島」も無駄がなくてうまい演出だっていうか・・あらためてスゴイなぁって思いました。

大橋 うん、出﨑さんもスゴイ人だよねー・・・この間ね、湯浅さんて人が「おしん」のキャラ見せてくれたのね。

森田 あ、その人うちの会の人ですよ。

大橋 えっほんと?

森田 伸子さんでしょ?「おしん」のキャラ作監の。

大橋 そうそう、しばらく一緒に仕事したことがあって遊びに来てくれたんだけどー青山さんて知ってる?

森田 はい。

大橋 あの人もしばらくあんなぷるにいたんだけど今度田舎に帰るんだって。で、この間「おしん」のキャラを見てね、う~~ん(しかめっつらをする)なんて考えこんじゃってね。スゴイって。なんていうか杉野さんの存在感っていうのホントにスゴイんだよね。結局杉野さんの絵って誰にも描けないじゃない?

森田 そうですね。

大橋 うん。だから湯浅さんも「どうなっちゃうんでしょうねぇ」なんて言ってたよ・・・。

杉野さんのところっていいスタッフ集めようって気持ちがないみたいだし、集まんないんだよね。

第一に杉野さんがうますぎるのね。それである程度の年季を積んだ人は好きでも一緒に仕事しようって気にはなれない。その点若くて燃えてる人はまだ恐さを知らないからやって来るー。

それでもいいんだろうけどね。でも力のある人があんまりいないってことで結局杉野さん独りでやってるみたいになるでしょ・・・。

杉野さんからみるとほんとに色んな人が、たくさんの人が杉野さんから離れていったと思うの。

それは挫折した・・・とかね、もちろんそうじゃない場合もあるし色々だと思うけど。ザセツするってことー。わかるけどね。

だって特に・・・男にとってはさ、ずっと人の下で働くっていうのはたえられないコトだからね。けど、だからって離れていってしまったというのは結局は不完全燃焼してるってことかもしれないと思う。

あんなぷるも今、力のある人が抜けちゃって・・・かなり苦しそうだね。福島さんと森本くん知ってるでしょ?

森田 はい。

大橋 まぁあの人たちはザセツしたっていうんじゃないと思うんだけど、どうしてあんなぷるを辞めちゃったのかは誰も知らないんだけど・・・。

福島さんは今、俺んとこで仕事してくれてるのね。それから森本くんはメカの上手な人でしょ。今はそれを生かして「レンズマン」っていうのでいい仕事してるから。

福島さんもとってもいい仕事してますからって、杉野さんに伝えといて下さいー。

 

で、話を戻すと杉野さんってスゴイ人なんだーってことね。そのすごさっていうのはさ、こうやってさ、ファンがいたりアニメ雑誌とかで特集されて認められてるわけだけど、これがもっとエスカレートしてね。例えば週間朝日とか朝日新聞とかに杉野昭夫って名前が載って認められたとしてもね、それはどうってことないコトなのね。

結局認められたいのは他人に、ではなく自分にーなわけでしょ。自己満足ってことかね。

一番厳しいコトなわけでしょ。

俺は最近になってやっと認められるってことは何でもないコトなんだーって分かったんですよね。俺はずっと認められない人間だったんだよね。親とか兄弟にもさ・・・。

この世界にも若くして入ったからいじめられたし。それですごーくもう、すごく認めて欲しかったのね・・・。あ、暗くなるからこの話はよそう(笑)

で、杉野さんなんかはもうずっと前から認められるってことは何でもないんだって知ってるんだよね。

こないだ「ゴルゴ」で一緒に仕事して改めて、あー杉野さんってスゴイって思ったのね。

で、いつもはそんなコト言うの恥ずかしいから(笑)言いませんけども、その時杉野さんに向かってね、どんな言葉で言ったかは忘れたけどスゴイってこと言ったわけ。

でもどうってことなかったみたい。動じないんだよね。杉野さんはね、知ってるから。

 

自己満足・・・自分で納得のいくまで描き続けていくしかしょうがないんだよね。それは一生かかっても果たせないかもしれない。

 

俺はそれは山だと思うの。それは個人個人に一個ずつある。

ここに出﨑さんの山、杉野さんの山、これは俺の山ーという風にね。

師と弟子っていうものがいて・・・弟子は最初は師と同じモノを追っているんだーって錯覚しちゃうものなんだけどそうじゃない、いつかは何かの形で師とは違ってくる。

だって師の方がたいてい先に死んじゃうからね。山はみんな別々のものなんだよね。

 

杉野さんは川に例えていたなぁ・・・これまでやってきた仕事は川だーって。

細い流れが何本も何本も続いて繋がって大きな川になりやがては、海に出る。

杉野さんの住んでた北海道で、きっと近くに川があって、それを見てそんなコトを考えていたのかもね・・・

見えるような気がするよ。うん。描き続けているんだ、白髪になっても老いぼれても描き続けている。

ガイコツになっても描いている。そしていつかそのガイコツがボロっ・・・とくずれる。

それで・・・オシマイ。

 

1983年11月14日

 

このインタビューは杉野昭夫氏ファンクラブ会報 杉の子会Vol.4から抜粋、当時の杉野氏について大橋学が語るという貴重な資料として公開させていただきました。このインタビューは2時間に及んだそうですが後で再生してみると雑音しか入っていなかったらしく、記憶による書き起こし(!)とのことです。

掲載を快諾してくださった松本様、ありがとうございました。

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